水無月(みなづき)という和菓子を知ったのは、関西に来てから。二十年ほど前、東京でいう豆餅のような三角形でありながら、大雑把でない繊細な味わいに感動した。白い外郎(ういろう)の生地に頃合いの良い甘味の小豆がのせられた美味なる食物、これは日本の誇るべき菓子文化の傑作の一つではないだろうか。以来、ファンとなった。 先日、近所の和菓子屋さんの店頭広告で、この水無月を食すべき日が6月30日であると知った。いわく「6月30日はみなづきの日」、と。どうやら同日の「夏越祓(なごしのはらえ)」の神事に供せられる菓子のようだ。ちなみに、その神事、一年の半分が終わる日に、半年間の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を願うことの由。参拝者は社頭に据えられた茅(ちがや)でつくられた大きな輪をくぐり、人形(ひとがた)を供えて祈願するという。 旧約聖書が規定するユダヤ教のヨム・キプール(贖罪日)のことを思い起こす。「第七の月の十日は贖罪日である。聖なる集会を開きなさい。あなたたちは苦行をし、燃やして主にささげる献げ物を携えなさい」(レビ記23:27)。この日、信者は身をきよめ、断食をして、娯楽を絶つ。この伝統は今日においても変わらないと聞く。 そのような、それぞれの宗教の示す祓いや贖罪の神事を尊重しつつ、自分たち自身の信仰と教会生活も省みたい。そして、あらためて、今、在ることの有難さ、健康面、経済面からも食せる感謝を捧げ、水無月を味わいつつ六月の晦日を過ごしたい。共々に、元気で文月を迎えよう。
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by aslan-simba | 2008-06-26 08:47 | Comments(0)

仕事で横文字を読み続け、疲れを感じることがある(聖書の原文、大半の神学書は外国語で書かれているため)。そんな時には、気分転換に美しい日本語の文章に触れるように心がけている。思い切り声を出して読むこともある。最近は古文が好きになってきた。今日は『方丈記』を読んだ。 「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖みか(すみか)とまたかくの如し・・・朝(あした)に死に、夕べに生まるる習ひ、水の泡にぞ似たりける」。流麗な文章で綴られている。語られている内容は私たちの一生。行く川に浮かんでは消える泡のごときものであると言われる。どうだろうか。 鴨長明がこれを記したのが、ちょうど今の私と同年齢の頃。彼は武士ではなく、一介の宗教者であった。世は源平の争いに加えて、大火事の騒ぎがあり(安元の火災・1177年)、飢饉による諸物価の高騰があり(養和の飢饉・1181-82年)、大地震が起こった(元暦の地震・1185年)。天変地異に不穏な世相、この変わらない辛い現実(コヘレトの言葉1:10参照)・・・狭い庵の中から彼は、そのような時代の出来事を、そして人生のはかなさを自己の問題として真摯に受けとめ、冷静に見つめた。その文章に心打たれつつ、あわせて御言葉も思い起こす。「草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない」(ペトロ一1章24節,イザヤ40章8節参照)。感謝
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by aslan-simba | 2008-06-19 18:58 | Comments(0)

六月の煌めき

梅雨、じめじめしたうっとうしい日が続くと体調はすぐれない。湿度のゆえか、心も重くなりがち。心身に疲れをおぼえる前の予防とばかりに、いつもより早く床についた。 夢をみた。亡くなった母が、我が家を訪ねてくる。澄み渡った青い空、母は微笑みながら、ゆっくりと麦畑のなかを歩いてくる。緑の木々の下にある私たち家族が皆で、出迎える。なぜか辺りの景色は以前、写真でみたことのあるドイツの農村のようだ・・・目が覚めた。そういえば明日は母の命日。まだ夜半、雨音だけが響いている。 夢に登場した風景は、寝る前に読んだ上田敏の訳詩が映像化されたものかもしれない。「子守歌風に浮かびて、 暖かに日は照りわたり、 田の麦は足穂(たりほ)うなだれ、 茨(いばら)には紅き果(み)熟し、 野面(のもせ)には木の葉みちたり、 いかにおもふ、わかきをみなよ」(テオドル・ストルム「水無月」、上田敏『海潮音』より)。原詩は読んでいないが、六月の自然の煌めきが見事に歌い上げられた詩だ。 そして、新たな朝を迎えた。雨はあがり、今日は梅雨の合間の晴れのようだ。濡れた歩道の上に優しい陽の光がさしている。街路の木々の緑が、一段と明るくみえる。いのちにとって欠くことのできない水を、自然はこの季節の中からふんだんにくみ上げる。それを思えば梅雨という時期も、また人生における雨の日も必要なのだろう。夢のなかの母は、そのことを教えてくれようとしたのかもしれない。だから、どんな時でも心だけはいつも高く上げていたい。
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by aslan-simba | 2008-06-13 18:09 | Comments(0)

六月の雨

早朝からの雨。庵での祈りを終えて、部屋へと戻った。普段は飛びついてくる犬たちも、今朝は散歩をあきらめ、頬をついて静かに床にねそべっていた。漂うのは雨の匂い、窓越しに見る外の景色は鉛色。「六月の雨」・・・同名の中原中也の詩を思い出し、書棚の詩集を開いた。 「またひとしきり 午前の雨が  菖蒲(しょうぶ)のいろの みどりいろ  眼(まなこ)うるめる 面長き女(ひと)  たちあらはれて 消えてゆく  たちあらはれて 消えゆけば  うれひに沈み しとしとと  畠(はたけ)の上に 落ちてゐる  はてしもしれず 落ちてゐる  お太鼓(たいこ)叩いて 笛吹いて  あどけない子の 日曜日  畳の上で 遊びます  お太鼓(たいこ)叩いて 笛吹いて  遊んでゐれば 雨が降る  櫺子(れんじ)の外に 雨が降る」。二歳の長男が亡くなった年に発表した詩。デンデン太鼓で遊ぶのはその幼い息子の姿だろう。中也自身も、この翌年に他界、享年30歳。フランス近代詩の影響も受け、哀愁と追憶に満ちた数多くの作品を残したこの若き詩人。彼の憂いと悲しみが、雨音と共に響いてくる。 もう一度、目をあげて外を見つめた時、雨に濡れた紫陽花が凛として咲き誇ることに気づく。このけなげな花がある限り、私たちの希望は潰えないはずだ。そういえば、紫陽花のフランスの花言葉は、「忍耐強い愛情」、「元気な女性」であると、誰かが言っていた。
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by aslan-simba | 2008-06-06 19:13 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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