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宇治茶と東京

先日、東京に住む妹が、母が好きだったお茶屋さんのお茶を偶然見つけたということで、送ってくれた。懐かしい香りとともに、五十年以上も前に住んでいた都内の小さな街の姿が、甦ってきた。母は千駄ヶ谷の祖父の家を訪ねるときには、そのお茶屋さんで煎茶を買い求め、店の前の公衆電話から来訪を伝えていた。ふくよかな新茶の香りに満ちた広い店内には、何台かの製造機械が、ディスプレーのように据えられていた記憶がある。 小学校三年の春休み、私たちはその街を離れ、埼玉「狭山茶」の「茶どころ」へと引っ越した。すぐには馴染めなかった地元の小学校で、最初に友達となったのは静岡から越してきた子供だった。そして、幾多の変遷を経て、現在住んでいるのが「京のお茶の郷」宇治。今も日本茶が大好きなのは、お茶の産地と縁が深いからかも知れない。 一週間前に京都茶業界会議所主催の「春の大茶会」という催しがあった。そこで、「宇治茶の歴史文化・再発見シンポジウム」を聴講し、「日本煎茶の祖」永谷宗円[ながたにそうえん]という人物を知った。宇治田原出身の宗円翁が創意工夫を重ねて煎茶製法を完成させたのが、58歳のとき。これを広めるために、彼は京都ではなく、江戸へと出向く。そして、この煎茶を認めたのが茶商山本屋(現・山本山)の主人だった(後に宗円の煎茶製法を京都で広めたのが、黄檗宗の僧侶・高遊外売茶翁[こうゆうがいばいさおう])とのこと。宇治と東京が、煎茶をキーワードに繋がっていたのは興味深い。新たな薀蓄を蓄え、東京人の私がここに住むのも意味ある、と勝手に納得しながら、煎茶を口にしている。
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by aslan-simba | 2008-02-22 09:21 | Comments(0)

春の雪

最近、天気予報で京都南部にまで「雪マーク」が記されるようなことが、幾度かあった。既に春は立っているのだから、「寒の戻り」というのだろう。降る雪は、「春の雪」だろうか。去年までの暖冬は、どこへ行ってしまったのだろうか。昨今の地球温暖化の熱い議論に、少しだけ水をさし・・・いや雪を注いでくれたのかも知れない。 そういえば、中学生になりたての頃、私は「地球の科学」に興味をもっていた。所属した科学クラブで、顧問の理科先生が、太古の「氷河期」の話をし、「君たちが五十歳を過ぎるころには、地球は新たな氷河期に入るかもしれない」と語っていたことを思い出した。これは、この先生ご自身の見解なのか、それとも、その頃にそういう話題があったのか、その後、調べることはなかったが、懐かしい思い出である。 ともあれ、この一週間のあいだに二度積もった雪。数日前には、朝日の中に薄っすらと雪化粧した町の景色を見つめることができた。さらに一週間前には、五センチほどの積雪となり、長靴を履いて歩いた。近所の子供たちは雪だるまづくりや雪合戦。散歩へと連れ出した我が家の犬たちは大はしゃぎだった。「雪やこんこ、霰やこんこ、・・・犬は喜び、庭かけまわり・・・」という歌が、文字通りに口をついた。 今夜も雪が降ってきた。このレントのとき、天から私たちへのメッセージが、何かそこにあるように思えてならない。「雪ふる夜は耳を澄ませて、静かにイエスの御声を聞こう。雪より白く罪のけがれを清めてくれた、イエスの御声を」という歌が脳裏をかすめる。
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by aslan-simba | 2008-02-16 20:45 | Comments(0)

今に生きる花々

寒い日が続くが、暦の上では春が立った。本格的な花の季節を待ち望みながら、ここにある小さな春とこの時期の花々を楽しむ。思えば、花は絶えることはない。そろそろ終りを迎えようとしている山茶花の花に代わって寒椿が開花し始めた・・・実は寒椿と山茶花の花と区別がつかなかったのだが、寒椿は八重咲とのこと。そして、つぼみが大きくふくらみ始めた水仙、じきに清楚な花をつけてくれるだろう。桜草の花も見かけ始めた。この地に住むことができて本当に有り難い。一歩、外へ出るとそのような美しい花々と出合い、その姿を通して御言葉を頂くこともある。春浅い日、咲きそめたアーモンドの花の枝を見つめていたあのエレミヤのように(エレミヤ書1章)・・・。 ともあれ、私たちに比べてはるかに短い地上の生を生きる花々、ひたすら真摯に今を生き、散って行く。そのけなげな姿は、誰が見ても励みになるはずだ。坂村真民のこんな詩を思い起こした。「わたしは今に生きる姿を花に見る 花の命は短くてなど嘆かず 今に生きる花の姿を賛美する ああ咲くもよし 散るもよし 花は嘆かず今に生きる」(花は嘆かず)。「今に生きる」ということの大切さをあらためて考える。「而今」(しこうしていま)という禅の言葉がある。過ぎ行く時の中で、過去に囚われるのではなく、未来に不安を抱くのではなく、今を確かに生きることを意味するという。心したいものだ。「今や恵みの時、今こそ救いの日」(コリントⅡ6:2)と、花々も、そう私たちに告げてくれている。
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by aslan-simba | 2008-02-07 20:54 | Comments(0)

カレンダーマーチ

今年も、もう二月、如月を迎えた。暦によれば、3日(日)が季節を分かつ節分。そして翌4日(月)が、禅寺の山門に「立春大吉」と左右対称のおめでたい文字が掲げられる立春。厳しい寒さのなかにも、いよいよ春が立つ。この季節のほほえみを伝える新たな雑草との出会いが、近頃の散歩の楽しみとなった。 今日は山道を歩きながら、お母さんと一緒に幼稚園から戻る元気な子供たちとすれ違った。その姿を見ながら、家の子供たちが小さかった頃、幼稚園で教わったこんな歌を聞かせてくれたのを思い出した。「一月いっぱい雪よふれ 二月は庭には福寿草 三月寒さにさようなら 四月は小学一年生 カレ カレ カレンダーマーチ 一年たったら またおいで」・・・ほのぼのとした十二ヶ月の数え歌。これを歌いながら、子供たちの中に暦と季節感がはぐくまれて行ったようだ。 ところで、教会のカレンダー(教会暦)では、今年は6日(水)からレント(受難節)に入る。主のご受難と十字架とを心に刻みながら過ごす46日間(日曜を除くと40日となる)、中世の初期まではイスラームのラマダンのように、日中は食物を口にしないのが普通だったという。今の時代、私たちにレントの過ごし方に関するマニュアルはないが、できる範囲での節制と克己につとめたい。そして3月23日(日)のイースター(復活祭)には「大いなる春」、「いのちの夜明」を心から喜ぼうではないか。暦は今、確かな春の足音を私たちに告げている。
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by aslan-simba | 2008-02-01 09:33 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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