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Winter into Spring

鉛色の空、肌をさすような冷気、荒涼とした冬景色の拡がりに、体の芯まで冷たさを憶える。厳しい冬の現実が、わたしたちの人生の歩みの前に立ちはだかっているようだ。それでも、心のなかだけは冷やすことなく、あたたかい思いをもって歩みたい。そんな「心の季節」を励ますような英語の言葉がある。それは、’Winter into Spring’・・・ もう二十年以上も前の話になるだろう。やはり寒い冬の夕暮れ、仕事帰りに立ち寄ったレコード店で、たまたま目にしたレコード・アルバムの題名がこれだった。このウィンター・イントゥ・スプリングという言葉と、青い空を背景に二本の木が颯爽と立っているレコードケースのデザインが気に入り購入した。中身はジョージ・ウィンストンという米国人ピアニストの演奏するイージー・リスニングの曲だった。 演奏曲そのものも良かったが、それ以上にいつまでも心に残るのが、このウィンター・イントゥ・スプリングという英語表現である。それを日本語に直訳すれば、「春の中に入り込んでいる冬」ということになろう。「初春」、「春に向う冬」ということだろうか。否、凍えるような冬の寒さも、暖かい「人生の春」の息吹のなかに本来は包まれて在るということではないだろうか。どんなに今が辛くとも、わたしたちは大きな神さまの愛の御手の中にあるということ・・・そう捉えたい。このことを思うときに、辛い困難も正面から受け止められるようになる。今の冬も悪いものではない。寒さも人生の春の暖かさを知らしめる意味あるメッセージのはずだ。
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by aslan-simba | 2008-01-23 19:35 | Comments(0)

冬がきたら

正月も松の内のにぎわいは去り、寒さも一段と厳しくなってきた。すぐに大寒を迎え、一年で一番寒い季節がはじまる。酒や味噌の仕込みの時期。子供の頃、白い息をはきながら、剣道の寒稽古のために朝早く学校へ行ったことを思い出す。 いつの頃からか、この時期に決まって口をつくようになったのが、坂村真民の「冬がきたら」という詩だ。「冬がきたら 冬だけのことを思おう 冬を遠ざけようとしたりしないで むしろすすんで 冬のたましいにふれ 冬のいのちにふれよう 冬がきたら 冬だけが持つ 深さときびしさと静けさを知ろう 冬はわたしに いろいろなことを教えてくれる 先ず沈黙の大事なことを すべての真理は この沈黙のなかからのみ 生まれてくることを ・・・ 冬はわたしの壷である 孤独なわたしに与えられた 魂の壷である」(一部を抜粋)。厳しい寒さから逃げ出さずに、進んで冬と向かい合い、そこから静かな季節の息吹を学ぶ。そのような勇気をこの詩は与えてくれる。もっとも、それは季節としての冬だけではなく、辛さや悲しみ、苦しみのなかにある日々、あるいは高齢期といった人生の冬をも意味するのかも知れない。ともあれ、そういったなかにある「いのち」と「たましい」とに前向きに触れようという。 剣道の先生がよく言っていた「艱難汝を玉にす」という言葉を思い起こす。厳冬の日々も雄々しく生き、「魂の壷」に宝を戴けるものでありたい。寒さに向って凛として咲く寒椿の花も、その思いを励ましてくれている。
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by aslan-simba | 2008-01-16 13:30 | Comments(0)

The Year of Mouse

今年は子年、十二支で数えて最初の動物、ネズミの年。ところで、この「子」という漢字、普通は大人に対する子供、あるいは女性の名前の「~子」で使われる。それが、どうしてネズミになるのだろうか。漢和辞典を引いてみた。 「子」という字、意外にも「男」を指す色彩の濃い語だった。「男子の敬称」「男子の自称」とある。また学徳や地位のある人に用いられる。たとえば、孔子や孟子のような人。そういえば、隋に渡った飛鳥時代の小野妹子もそれにあてはまるだろう。 他に、「実」とか「種子」「卵」、あるいは「小さいもの」をあらわす接尾語、「ふえる」を意味する動詞的用法もある。この「小さい」「ふえる」あたりがネズミと結びつくのだろうか。 ところで、英語でネズミはマウス(大きいのはラット)という。ただし「教会」(チャーチ)と「マウス」はくっつかない方がよい。「poor as a church mouse」(教会に住むネズミのように貧しい)という身につまされる表現がある。一方、こういう聖書的な言い回しもある。「心配とは、明日のチーズをかじる今日のネズミたちである」(Worry is today’s mice nibbling on tomorrow’s cheese)。「明日のことを思いわずらい、今日の身をすり減らすな」ということだろう(マタイ6章、ルカ12章参照)。今日ベストを尽くし、明日の結果は神さまの御旨に信頼したい。この子年(The Year of Mouse/Rat)も私たちの人生の全体を配慮し、導いてくださる神さまに委ねて歩もう。「小さく」ても、幸せの希望の「種」は必ず「増える」はず。
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by aslan-simba | 2008-01-10 09:14 | Comments(1)

瑞祥新春

静かな大晦日、空気が澄んでいるのだろう。星のきれいな夕べだった。北の空には北斗七星、ぺガザス、南にはオリオン座を見渡せた。遠くから除夜の鐘の音が響く。吐く息が白い。 思えば、この年も色々なことがあった。その一つひとつに込められた意味を考える。この教会にとっては、ここに十年目の歩みが満了する。1998年1月4日(日)・・・関係者の祈りと努力の中、主の不思議な導きとはからいの下にスタートした桃山栄光教会の最初の礼拝・・・あの日、集われた方々のことは、よく憶えている。皆一様に安堵の思いを抱いての礼拝だった。同日の週報、教会名の欄には「新教会」とある。現在の教会名が確定したのは、その次の週だった。単立で会衆主義に基づく教会形成も確認された。以来、「自立/自律」が教会のテーマとなった。 星の明かりで、時刻を確かめる。日付はすでに2008年1月1日となっている。ゆく年と教会の十年を回顧しながら、今、新たな年の始まりへと歩を刻む。感謝にたえない。改暦への厳粛な思い、ここに生かされていることの有難さをおぼえ、手を合わせる。私たちの教会の歩みが「信頼」と「希望」に支えられ、守られますように。このブログの読者を含む我が教会を心に刻むすべての方々の上に、益々の祝福がありますように・・・今年もどうぞよろしく!
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by aslan-simba | 2008-01-01 19:35 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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