希望の新春へ

どんよりと曇った鉛色の空の下、寒気の厳しい道を行く。葉を落とした木々の佇まいが目にとまる。冬枯れの今・・・あの緑一色に輝いた若々しい日々はとうに過ぎ、まばゆいほどに美しい紅や黄金色の煌めきを見せた季節もすでに終わっている。しかし、なお毅然と立ち続ける凛としたその木々の姿に、神々しさを覚え、思わず立ち止まった。脳裏を走るのが、「木には希望がある」(ヨブ記14:7)という聖句。そこで、その木々に語りかけた。「希望という言葉を示してくれてありがとう」と。彼らはしっかりとした言葉で、「どういたしまして。互いに希望をもって頑張ろう」と答えてくれた(動植物と話すことのできたアッシジの聖フランチェスコと同じつもり)。ともあれ、その木たちが抱く希望、それは再生への希望、すなわち「復活の春」を待つ希望である。 「わたしたちは知っているのです・・・忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことはありません」(ローマ5:4-5)。希望は単なる願望ではない。やがて新芽が枝に萌え出でるように、復活の主に在って必ず具体的な形をなす。私たちも思いを新たに、新たな春へと踏み出したい。「善き力に守られつつ、来るべき時を待とう。夜も朝も いつも神は われらと共にいます」ことを銘記して(『讃美歌21』469作詞ディートリッヒ・ボンヘッファー参照)・・・皆さまの上に、希望と平安に満ちあふれた新春が訪れますように。

★教会からのお知らせ
2008年1月6日(日)午前10:30~桃山栄光教会創立十周年記念<栄光祭>礼拝をおこないます。礼拝後12時頃~お祝いの会も予定しています。気さくで小さな教会です。お時間が許せば、お気軽にお立ち寄りください。出入りも自由です。 なお、栄光祭とは、1月6日の教会暦の日にあたります。今年はその日が当教会創立十周年記念の礼拝の日・・・実に有り難いことです。
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by aslan-simba | 2007-12-26 11:14 | Comments(0)

新たな<いのち>の誕生

✪宣教要約
クリスマスの物語、行政命令で遠い旅に出ねばならない貧しい若い夫婦が登場する。そこに私たちの常識や想像を遥かに超えるような物語が展開されるのである。その夫婦は旅先で宿を得ることすら出来ないままに出産へ及んだ。どれほど心細かったことだろうか。 物語の舞台の中心は家畜たちの臭気漂う馬小屋・・・生まれたばかりの赤子が寝かされたのは飼い葉桶、さらにそこを訪れたのは夜番の羊飼いたちだった。彼らは何かに突き動かされるように勇んで駆けつけ、その「事実」と出会った。「救い主・神の御子」との出会い・・・彼らは何と大きな喜びを知っただろうか。 そのクリスマスを慕い、ある意味では物語の登場人物のように今の時代を生きる私たちの上にも、この予期せぬ出来事が起こった。私たちの心の中に「希望の光」が誕生したのだ。時代の波に翻弄されながらも、自らの根底は「神の無限の愛」に支えられていることを信じ、「希望の光」の誕生の事実をしっかりと心にとめたい。この希望の光は私たちに必ずやよき知らせをもたらしてくれるはずだ。感謝。

☆黙想
新たな命の誕生は、人々に命をいと惜しむ気持ちと希望の光を与える。暗い戦いの時代にそれは、なお一層輝く。戦時中、防空壕で出産したという話がある。壕の中での人々の協力と喜びがそこにあった。ベトナム戦争の折、ベトナム人すべてが敵だと思っていた米人兵士が、偶然にも民家で若い娘の出産に出会う。思わず差し出した彼の手に湯気の立つ赤子が落ちたとき、彼はベトナム人も同じ守るべき人間であることを悟った。 二千数年前のベツレヘムの片隅にも思いを馳せたい。宿さえ見つけることのできなかった若い貧しい夫婦の旅先での出産。しかし、その馬小屋は希望の光で満ち溢れていた。そこに駆けつけた夜番の羊飼いたちは生きる勇気を得、占星術を研究していた遠い異邦の学者たちをも、その光が引き寄せた。 神の御子・救い主の誕生は、今の時代の暗さのなかを生きる私たちの元にも、確かな光がある事を告げている。この光で心の内をいっぱいに充たしたい。「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(ヨハネ1:6)。

★教会からのお知らせ
桃山栄光教会のクリスマス礼拝は23日(日)午前10:30~、キャンドル・サーヴィスは24日(月・休)午後7:00~です。礼拝後には祝会も行います。お時間が許せば、お気軽にお越しください。
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by aslan-simba | 2007-12-22 16:27 | Comments(2)

一陽来復

師走、まだ夜が明け染めぬころ、漆黒の空には昨夜の星がなお明るく輝いている。夜が最も長くなる冬至は近い。古代中国では、冬至の日が暦の起点とされた。同様に古今東西のさまざまな文化圏で、冬至は新たな年の出発として憶えられてきた。 その日は、「不敗なる者の誕生の日」と呼ばれ、その前夜祭も祝われた。人々は贈り物を交換し楽しむ。そして、当日の夜明けと共に、白衣をまとい金の冠やヒイラギの花を身につけた若い娘たちが、赤子の人形を抱きながら町を練り歩く。「この日われらに一人のみどり子が生まれたもうた」と歌いながら・・・これは二千年前のローマ時代の宗教、ミトラス教の冬至祭についての描写である(高尾利数『キリスト教を知る事典』他を参照)。彼らはこのように、冬至の日を境に「新たな太陽」が再び生まれることを喜び、記念していた。後にローマの公的宗教となったキリスト教は、この祭りを自らのうちに取り込み、その「新たな太陽」誕生に十字架と復活の主イエス・キリストのご降誕を見たのであった。 わが国では冬至には柚子湯につかり、かぼちゃを食して無病息災を祈願する。そのような習慣からも冬至を介して、クリスマスが望めれば有り難い。「わが名を畏れ敬うあなたたちに、義の太陽が昇る」(マラキ3:20)、「異邦人を照らす啓示の光」(ルカ2:32)といったクリスマスの聖句が、「一陽来復」(いちようらいふく)と重なるような気がする。
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by aslan-simba | 2007-12-14 19:05 | Comments(0)

クリスマスと正岡子規

「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」。この句は明治28年の秋に奈良に立ち寄った正岡子規が、奈良の柿を食しながら着想したという。晩秋の大和路の夕暮れ、その古色蒼然とした光景を思わせる名句だ。季語の「柿」が生きている。 その翌年の明治29年、子規は「クリスマス」を季語として、このような句を詠んでいる。「八人の 子供むつまし クリスマス」(寒山落木)。子供の多い家庭の賑やかなクリスマスの様子が目に浮かぶ。「一家団欒は平和の基」(病床六尺)と、家族を大切にした子規ならではの作かもしれない。なお、俳句の季語に外来語が用いられたのは、これが始めてだそうだ。ただし、子規の家庭でクリスマスを祝ったという記録はない。しかしベースボールに親しみ、海外事情に明るかった子規にとって、クリスマスという西欧の習慣に、家庭的な喜びが直感されたのだろう。 この国でクリスマスという行事が、少しずつ広まるのは、食品輸入商社で高級スーパーの走りである明治屋が東京・銀座に進出し、クリスマス商戦を始めた1900年(明治33年)あたりからと聞く。当時のクリスマスはハイカラなものであったに相違ない。ともあれ、教会が前面に出なくとも、クリスマスが家族の団欒である限り、そこにクリスマスの豊かな意味はあるはずだ。ちなみに子規は、クリスマスを季語に他にも数句うたっている。たとえば、「クリスマスの 小さき会堂の あはれなる」・・・心に染みる。
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by aslan-simba | 2007-12-07 12:36 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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