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梅雨を彩る花

雨が小止みになったのを見はからって、外に出た。犬を連れて歩くいつもの道。近所の家の庭先を飾る見事な紫陽花(あじさい)が、露を含んで光っている。雨の季節に本当によく似合う。じっと静かに佇み、黙って色合いを変えてゆく紫陽花。そこに、辛抱強さと、この花の芯の強さのようなものを感じ、心引き締まる思いがした。最近では、私が子供の頃にはなかったような様々な紫陽花を見かけるが、それぞれに雨に濡れた古都の郊外の風景に美しい色取りを添えてくれている。 しばらく行くと、道路わきの雑草を見下ろすように、凛として真っ直ぐに伸びる立葵(たちあおい)が見えてきた。これも、この時期の花である。下から上へと順に花をつけ、一番上の蕾が開いた時に梅雨が終わるという。立葵は、赤、黄、紫、桃などと幾つもの色があるが、ここに咲く白い花が、ひときわたくましく目に映る。立葵の花言葉は、「大きな望み」と聞く。 私は、梅雨を彩るこの二つの花の姿から、「忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマ5:4)と述べたパウロの言葉を受けとめた。このように季節の自然を眺めながら、今日も御言葉を学ばせて頂いている。本当に有難い。だから、この梅雨という時期も悪くない。否、心豊かにされる日々である。「晴れた日は晴れを愛し、雨の日には雨を愛す。楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ」(吉川英治)。今日も良き日。感謝にたえない。
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by aslan-simba | 2007-06-22 18:06 | Comments(0)

沙羅双樹の花

散歩の折に、近所のお宅の庭先に見かけた清楚な白い花、妻が沙羅双樹の花と教えてくれた。この時期、朝に花をつけ、夕べには落ちてゆく一日花(ひとひばな)である。そのはかなさを心に刻みながら、見とれる私の耳元に、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表わす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き者も遂には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ・・・」と切なく奏でる琵琶の音色が、聞こえてくるようだった。いくさに明け、いくさに暮れた日々の空しさ・・・人間は平家物語の昔から、多少なりとも進歩したのだろうか。 同時に、主イエスの御言葉も、心の中に響き渡る。「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる・・・」(マタイ5:29,30)。 不思議なことに、その目の前の沙羅双樹の花が、私に大切なことを伝えてくれているように思われた。「今この時を、この花のように精一杯に生きなさい。明日を心配しても始まらない。最後まで委ねて励みなさい」と。 さらには、子供の頃に母から聞いた話を思い出させてくれた。沙羅双樹の下で亡くなったお釈迦様は、いっせいに咲き乱れたその花に、おおわれながら入滅されたという逸話を・・・。そう言えば、今日は、母の祥月命日の日だ。
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by aslan-simba | 2007-06-14 09:57 | Comments(2)

今こそ出発点

「人生とは毎日が訓練の場である わたくし自身の訓練の場である 失敗のできる訓練の場である 生きているを喜ぶ訓練の場である 今の幸せを喜ぶことなく いつどこで幸せになれるか この喜びをもとに全力で進めよう わたくし自身の将来は 今この瞬間ここにある  今ここで頑張らずに いつ頑張るのか」(「今こそ出発点」)。  大徳寺の大仙院住職、尾関宗園氏の言葉。お会いしたことはないが、元気な和尚さんと伺う。この言葉から気づきと励ましを得た人は多い。独学で弁護士となった大平光代さんも、この「今こそ出発点」を大切にする。辛い過去の中、この言葉を知ることによって、勇気づけられ、立ち直れたという(『だから、あなたも生き抜いて』参照)。 私は、「頑張る」とは、「本気になる」ことだと思う。本気になれば、心の向きが変わる。目の前にある課題や問題、自分のなすべき事柄に真正面から向き合うことができる。そこから、希望の未来が必ずや切り拓かれてゆくのである。 「今こそ出発点」・・・思えば、「人生の訓練の日々」も、私たちは主に在って赦され、御恵みに捉えられ、支えられている。本当に有難く感謝にたえない。この御恩寵に応えるべく何事に対しても本気で、かつ喜びをもって取り組んでゆきたい。さらなる導きと、聖霊の豊かな注ぎに与っていることを覚えながら。
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by aslan-simba | 2007-06-07 21:36 | Comments(2)

雨にも負けず

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない・・・われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう 求道(ぐどう)すでに道である」宮沢賢治『農民芸術概論綱要』。  賢治の言葉は重い。宗教者としての真摯なたたずまいに敬意を表する。その信仰の極致ともいうべき「雨にも負けず」の詩は、夭逝する二年前に、病床で血を吐きながら手帳に書きつけられた。日本の辛い歩みが始まる昭和初期のことだった。 ところで、この「雨にも負けず」には、モデルがいた。斉藤宗次郎(1877-1968)という人だ。お寺の息子で、花巻で小学校教諭をしていた斉藤は、内村鑑三の影響でキリスト教に入信。当時の人々のヤソへの偏見で、言語を絶するような体験をした。教諭は辞めさせられ、娘は「ヤソの子」と子供たちに腹を蹴られ、腹膜炎で死去、その三年後には、妻をも天国へ送るはめに・・・ただ、斉藤は何一つ恨み言を残していない。彼は、新聞配達の仕事へ就き、雨の日も風の日も、重い風呂敷に詰めた新聞を背負いながら、人々の悩みを聞き、病人を励まし、子供たちに声を掛けた。この頃に、賢治はこの斉藤宗次郎と出会い、親交を結び、その感化も受けた。賢治が「そういうものに私はなりたい」と記した「みんなにデクノボー」と呼ばれた斉藤宗次郎・・・その背後には、自らを十字架にかけた人々のために祈る「偉大なデクノボー」の御姿が見える(ルカ23:34参照)。
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by aslan-simba | 2007-06-02 13:47 | Comments(2)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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