2017年 03月 01日 ( 1 )

聖書が告げる希望

 明治のキリスト者・内村鑑三は、「聖書に希望という言葉が沢山使ってある。これは・・・中略・・・人類のもつ言葉の中で、最もうるわしいものの一つである。希望のない宗教は宗教ではない。宗教の優劣は、それが供する希望の多寡高低によって定められる・・・」と述べ、キリスト教を語ります(「聖書の研究」明治37年7月21日)。

 確かに私たちの聖書には「希望」という言葉がちりばめられています。その「希望」、さらに「愛」「信仰」をキーワードとして数多くの手紙を認めた使徒パウロは言います。
「信仰と希望と愛、この三つは、いつまでも残る」(コリント一13:12)。

 ならば、聖書の語る希望とは何でしょうか。一言でいえば、それはイエス・キリストを通して、神さまが与えてくださる希望なのです。神は私たちの救いのために、御子を犠牲にまでされました。その十字架の愛は、今日も豊かに、私たちの内に注がれています。そして、その神の愛がある限り、私たちは前を向いて、ポジティブに人生を歩んで行くことができるのです。だから使徒パウロはこう命じます。「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」(ローマ12:12)と・・・。すなわち、神の愛がある限り、私たちは如何なる試練や困難も乗り越えることができる。否、神の愛が、乗り越えさせてくださるのです。この神の愛こそが、揺るがぬ希望の根拠であり、それを信仰をもって受け止めることが大事なのです。

 また聖書の示す希望の形は「神の栄光にあずかる希望」(ローマ5:2)として語られます、それは、私たちの目に、はっきりとは見えませんが、全き救いの完成の希望なのです。「
わたしたちはこのような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです」(ローマ8:24-25)。

 見える現前の事柄のみに振り回され、一喜一憂し続ける必要はありません。やがてこの世は過ぎ去ります。このレントの時、御言葉から聴きつつ、御国の希望をいっそう確かにしたいものです。



☆3月5日説教「主の赦し」要約:

「人よ、あなたの罪は赦された」(ルカ福音書5:20)
 罪の赦しの本質は、神との交わりの回復。ただしそれは、神さまの側からの一方通行では成り立たない。「あなたの罪は赦された」という宣言が真に意味を持つのは、その人が罪を赦された人として立ち上がり、感謝して神と共に歩いて行くときなのだ。



[PR]
by aslan-simba | 2017-03-01 11:34 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31