2009年 08月 27日 ( 1 )

八月も余すところあと数日、日中は暑さが残るものの、朝夕は本当にしのぎやすくなった。耳にするセミの鳴き声は、いつしかツクツクホウシに変わっている。夜にはコオロギや鈴虫のコーラスが聞こえてくる。今、本格的な秋に足を踏み入れ始めたことを実感する。ふと宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』を思い出し、読み返してみた。子供たちが小さかった頃、読み聞かせた話だ。 町はずれの水車小屋に住むゴーシュは、楽団のセロ(チェロ)弾き。秋に近くの町で開かれる音楽会のための練習に励む毎日、しかし下手で要領が悪いため、いつも楽長(指揮者)から叱られていた。疲れきって家に戻り、なお練習する彼のもとに、小さな動物たちが毎夜訪れ、いろいろなことを話しかける。入れ替わり立ち代わりやって来るうっとうしい連中・・・しかし、彼らのおかげでゴーシュの腕前はめきめきと上達したのであった。 私たちの人生の歩みにも似たようなところがあるかもしれない。マイナスとしか思えないものも、実は大きなプラス・・・邪魔、足手まといと思うものが身近にあるからこそ、困難や問題を乗り越えられるのだ。神さまが私たちにお与えくださるのは、厳しい試練の経験を含め、究極的にはすべて良きものなのである(マタイ6:30、テモテ一4:4-5参照)。 それにしても、賢治の作品はこの物語を含め、これからの季節に相応しい。そこには色あでやかな自然の色彩と豊かな音響の世界が広がっている。森の木や風や動物たちと、私たちが自由に語り合うことの出来るなごやかな空間がある。それは、かつて自分自身も経験した、遠い記憶の中の出来事のようにも思える。


8月30日の説教要約:
「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う」(イザヤ書6:3)。
私たちが生きるこの「地」、この世界には争いや問題があります。嘆きや悲しみがあります。しかし御言葉はいうのです。神さまの「栄光」が全地を覆うのだ、と。聖なる神さまは、その御旨をこの世に貫徹される御力を持たれています。その栄光の御力が、この地を支え、この世界を満たすのだと言われるのです。 私たちはこの神さまの力に与っています。その力に今日も生かされているのです。それを自覚するとき、私たちは預言者イザヤと共に確かな召命へと導かれるはずです。それは罪を赦され、元気を与えられて、この世の持ち場へと遣わされることなのです。その行く手に如何なる困難があろうとも、主の栄光に覆われます。主に遣わされる人生、そこに恐れはありません。
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by aslan-simba | 2009-08-27 15:23 | Comments(0)

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