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一日一生

夜明け前の書斎で、新たなカレンダーそして真新しい手帳に予定を書き込む。具体的な日々の積み重ねをもって生かされていることに、あらためて気づく。この積み重ねの集約が一年となり、ひいては、地上における生涯の日々の記録となって行くのであろう。一日というものの大切さを今更ながら思わされる。 「一日一生」という言葉がある。人は、一日の朝から晩に至る時の推移のなかに、人生のそれぞれの時期をなぞることができるからだ。また、そこに「今日」を生きることの重さと大きさをも覚える。内村鑑三は、「一日は貴い一生である、これを空費してはならない」と記している(『一日一生』より)。至言である。それは、肩に力を入れ、しかつめらしい顔をして今日一日を過ごせということではない。聖書の告げるところは、むしろ逆である。 詩編の詩人はこう詠い、祈っている。「今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び踊ろう。どうか主よ、私たちに救いを。どうか主よ、わたしたちに栄えを」(詩編118:24-25)。また、使徒パウロは高いトーンをもって「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日」(コリントⅡ6:2口語訳参照)と喜びを記す。私たちは、今日という「今」を明るく、伸びやかに、かつ懸命に生きられるのである。 外に出る。東の空がほのかに明るみを帯びて来た。新たな朝が到来する。今日という一生を精いっぱいに生きるようにと、今日の自分がここに生れる。恵みと救いの中にある今日という一生、どんな起伏があろうとも笑顔を絶やさず、元気で頑張れますように…心の願いは祈りへと変わって行く。感謝


☆1月10日の説教要約:
「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。…キリストを着ているからです。…あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤの信徒への手紙3:26-28参照)
教会生活は、私たち一人一人が本気で「キリストを着る」ことで、いきいきとしたものに変えられます。また、「キリストを着る」ことによって、私たち自身の新たな人生の可能性も拓けて来るのです。文字通り「神の愛」に生きることができます。「キリストを着る」、それはまた、厳しい試練から身を守る上着でもあり、さらには深い傷を癒す包帯にも喩えられるでしょう。日々の生活に疲れきった時、病の辛さに耐えられなくなるとき、「今、自分はキリストを着せて頂いている」という恵みと救いを思い起こして下さい。
by aslan-simba | 2010-01-08 14:25 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29  京阪桃山南口より徒歩8分、ほっこりした教会   天に在る牧師の愛犬たちです。

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