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千里の志

「男児志を決して千里に馳す。自ら苦辛を嘗(な)む。豈(あに)家を思わんや。却(かえ)って笑う春風雨を吹くの夜。枕頭(ちんとう)尚夢む故郷の花」(原文は漢詩)。 時は幕末、二十一歳の武家の青年が鎖国令を破り、海の向こうへと旅立った。この詩はその船上で詠われた。若き日の新島襄の決意がここに込められている。彼は米国に学び、牧師になり、十年後に帰国。伝道者、教育者として名をはすものの、その波乱万丈の生涯は四十六歳で閉じられた。 「人生は旅である」、言い古された表現ではあるが、自分たち自身の歩みを顧てもその通り実感させられる。だからだろうか、聖書にも旅、そして旅人たちの物語が数多く描かれている。その最初がアブラハムの旅・・・彼は「わたしが示す地に行きなさい」という神の声に聞き従い、一族郎党を引き連れて旅立った。その時の年齢は、「七十五歳だった」(創世記12:4)と聖書は記す。そこに誇張があるかも知れないが、彼の旅立ちが中年期を過ぎてからのものだったことは間違いないだろう。旅立ちは若者だけの特権ではない。人は幾つになっても、人生の新たな挑戦に立ち向かって行くことができるのである。もちろん旅の途上、人は様々な困難に遭遇し、また失敗もする。だが、ひたすら神を信頼して祈りつつ歩むのである。アブラハムが最終的に目指していたのは「天の故郷」だったと聖書はいう(ヘブライ11:16参照)。新島の究極の「故郷の花」もそこにあったはずだ。 新しい年、私たちにとっての新たな出発もここに始まった。願わくは「千里の志」を抱いて、神さまが示す地を目指して旅立ちたい。心を高くあげ、希望に胸をふくらませて。

☆今年もよろしくお願い申し上げます。平安で恵まれたひととせでありますように。The best of everything in 2010!

★1月3日 桃山栄光教会創立十二周年記念新年礼拝の説教要約:
「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(コリントの信徒への手紙二5:17)
原語では、「新しいものが生じた」という言葉の前に、「見よ」という一言が付されています。「見よ、新しいものが生じた」なのです。この「見よ」、訳出すべき大事な言葉だと思います。それは心からの喜びを示す信仰表現だからです。主イエス・キリストの十字架によって、本当に新しくされ、救われた・・・その跳びあがらんばかりの喜びが「見よ」に込められているのです。私たち自身も、その御言葉が示している喜びを本当に自分自身のものにしようではありませんか。
by aslan-simba | 2010-01-01 09:50 | Comments(0)

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