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主にある悟り

何かと気ぜわしい師走の日々・・・時間がどんどん過ぎて行く。朝早くから聖書の御言葉をつむぐことに没頭し、夜の帳(とばり)と共に、我に返るといった日もある。だからと言って、事がすべて順調に運んでいるのではない。遅々として進まず、あせる日もあり、大抵は、行きつ戻りつしているのが実態。そして一日が終わる。 12月にもなると、就寝につくときは、その日一日の出来事に限らず、この一年を振り返っている。今年は、何人かの大切な知人が逝去した。また愛犬も天へと送った。どこか辛さ寂しさと共に、自分自身の鈍さ、至らなさ、そして足りなさも思わされる。あの時、ああしておけば良かった、と・・・過ぎた日々への悔いで、気が重くなる。これも「罪」というのだろうか。神さまの憐れみにすがる以外に術はない。 昨夜も、そんな思いを抱えつつ、神さまに祈った。その折に、「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」という言葉が浮かんできた。般若心経や阿弥陀経に出てくる「この上もない悟り」を意味する言葉である。 「そうだ。一切を本気で主に委ねることだ。天上の祝福のなかにある先達は今、神さまの御力の下、委ねることの大切さを教えてくれているのだ。それをしっかりと理解することこそが、私の悟りではないか」と示された。 新たな「いのち」の誕生を象徴するクリスマスが近づいている。2009年最後の月、少し手を休め、「いのち」の尊さと召された方々の「永遠のいのち」、そして生死を超えた「主に在る交わり」に心馳せたい。共にあるインマヌエルの恵み・・・神さま、有難うございます。


☆「・・・そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った『おめでとう恵まれた方、主があなたと共におられる・・・神にできないことは何一つない』。マリアは言った『わたしは主のはしためです。御言葉どおり、この身になりますように』。そこで、天使は去って行った」(ルカによる福音書1:27-38参照)
二千年前の「受胎告知」の出来事です。天使のお告げに対して、マリアは答えました。「御言葉どおり、この身になりますように」、ここにマリアの待降節の祈りがあります。私たちもマリアに習い、主を心から待とうでははありませんか。神さまの御言葉に全幅の信頼をおいて。「神にできないことは何もない」、「主が共にある」・・・そして救いが「この身になる」ことを真摯に受け容れて。
by aslan-simba | 2009-12-10 21:13 | Comments(0)

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