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もっと笑顔に

朝、登校する子供たちの声を耳にし、ふと夏休み明けの小学六年生の日を思い出した。その日、9月1日は担任の先生の四十歳の誕生日だった。先生は私たちに、「四十になったら自分の顔に責任をもて」というリンカーンの言葉を話してくれた。その時は意味が分からなかったが、今思えば、「人間として自分に恥じない生き方をしなさい」ということだったのだろう。ちなみにギリシア語で「顔」を示す「プロソーポン」は「人格」をも意味する。 ところで「顔」という表現は、旧約聖書に多く登場する(原語は「パニーム」)。その原語の前置詞も含めると二千例以上にもなる。意味するところは、文字通りの「顔」の他に、「人格」や「精神」・・・具体的には「心の内」や「方向性」あるいは「偏り」などが示される。原語の用法は複数形だ・・・一つの顔が他者や事柄との関わりの中にあって、さまざまに変化することを示しているようで興味深い。 翻って、私たち自身も、社会生活において、色々な顔をしながら日々を過ごしている。そのなかで、悲しい顔、辛い顔、傲慢な顔になりそうな時には、神さまの「御顔を尋ね求め」たい(詩篇27:8参照)。そうすれば神さまは御心を表してくださる。祈りつつ、主の御顔を真摯に仰ぎ見るとき、必ずや平安な思いになれるはずだ。そこから、隣人に「和顔施」(わがんせ、仏教における大事な布施の一つ)も施せる余裕が生れるだろう。神さまの「祝福」「恵み」「愛」の御守りの中に生かされる幸い(民数記6:24-26参照)、尽きない希望の根源がそこにあることに感謝をしたい。そう!主が御顔を私たち一人一人に向けてくださっているのである。だから、もっと元気に、もっと笑顔になろう。


☆9月6日の説教要約:
「主は太陽、盾。神は恵み、栄光。完全な(誠実に)道を歩く人に主は与え 良いものを拒もうとはなさいません。万軍の主よ、あなたに依り頼むひとは いかに幸いなことでしょう」(詩編84:12,13)。
神さまのもとへと向かう巡礼者として、私たちは今を生かされています。この新たな週も、神さまを慕う熱い気持ちに全身を貫かれ、今日という一日を精一杯に生きてまいりましょう。主イエス・キリストと同行二人(どうぎょうににん)で・・・。この一日一日の歩みの積み重ねが、天の御国への道に繋がるのです。その道はしっかりと守られています。
by aslan-simba | 2009-09-01 21:25 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29  京阪桃山南口より徒歩8分、ほっこりした教会   天に在る牧師の愛犬たちです。

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