親鸞聖人の福音

 毎年この時期に東京の菩提寺から、報恩講の案内が来る。報恩講とは「浄土真宗の開祖・親鸞(しんらん)の祥月命日前後に、報恩謝徳の為に行われる法会」。ちなみに親鸞入滅は旧暦12621128日、新暦では翌年116日。真宗大谷派(お東)は旧暦、浄土真宗本願寺派(お西)は新暦で忌日を記念する。我が家の寺は大谷派ゆえ、毎年1123日に報恩講の法事を行っている。ただ一度も参加したことはない。

 今年も例年通り行けそうにないが、妙に親鸞のことが気にかかり、久しぶりに『歎異抄』をひもといた。この小著、今から七百数十年前、親鸞没後に弟子の唯円が記したもの。そこに親鸞の言葉と、その解釈がまとめられている。

 よく言われるが、宗教改革者ルターと親鸞の思想は実に似ている。20世紀最大の神学者カール・バルトも、その親近性に目を見張っている。ちなみに、このことに最初に気づいたのは16世紀に日本に来たカトリックの宣教師達だった。イエズス会のヴァ
リニャーノは言う。「これ〔浄土真宗〕はまさしくルターの説と同じである」(日本巡察記)と。阿弥陀如来の功徳を信じ、ひたすら念仏を唱えるだけで救われると説いた親鸞と、ルターの「信仰義認」との重なりを鋭く見抜いた宣教師たちの慧眼は見事。彼らは日本の宗教を真摯に学んでいた。

 なおこの親鸞とルター、時代的には300年の隔たりこそあるものの、若き日の苦悩、真剣な学び、後年に妻帯したことなど、その人生における共通点も多々見出せる。

 今回、『歎異抄』を読み直し、こんな言葉に思いを馳せた「
弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり」(阿弥陀様が長い間思いを巡らして立てられた本願をよく考えてみれば、この私、親鸞を御救いくださるためだった)。私の救いのため・・・。ルターも同様に、キリストの救いは「私のため」であったと強調している。「キリストは私のために死に、自らの義を私の義とし、私の罪を自らのものとなさった」(ロマ書講義)と。

 こんな讃美歌が口をつく。「主イエスの十字架、我が為なり」(讃美歌二編185)。親鸞を通し信仰を確認させられた思いだが、あまりにもプロテスタント的な浄土真宗・・・。 仏教は他の禅宗や真言宗等も実に興味深い。日本の先人たちの信仰からも心して学んで行きたいものだ。


1119日説教「キリストの黙示」要約:

「わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に・・・栄光と力が世々限りなくありますように、  アーメン」(ヨハネの黙示録1:5―6)

ヨハネの黙示録は、1世紀末ローマ帝国内に広がった迫害最中に記された。そこに大事なことが告げられている。それは、今がどんなに辛い、過酷な現実下にあろうとも、主の愛の中に私たちがあることを忘れるなという事。心したい。



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by aslan-simba | 2017-11-13 20:34 | Comments(0)

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