何のために

 忙しい仕事が一段落したのも束の間、私たちの周りには予期せぬことが次から次へと起こる。そんな現実に「神を問う」と共に「人間とは何か」、「何のために生きるのか」をあらためて考える。

 詩編に「人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても 得るところは労苦と災いにすぎません」(90:10)、「主よ、人間とは何ものなのでしょう、あなたが、これに親しまれるとは。人の子とは何ものなのでしょう、あなたが、思いやってくださるとは。人間は息にも似たもの、彼の日々は、消え去る影」(144:3∸4)とあった。このような言葉が「生きる意味」の問いをさらに深める。

 簡単に答えの出せる話ではないが、聖書が、人間はキリストに在って本来の姿へと新たに造りかえられた存在だとすることは覚えたい。「キリストと結ばれる人はだれでも新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(コリント二5:18)。だから私たちは何歳になっても、どんな困難を抱えても最後まで御国の希望に生きることができるのだ。

 仏教の教え(三帰依文)にも、こうある。「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生において度せずんば、さらにいづれの生においてかこの身を度せん・・・」、鶴田義光訳では「この世に人間として生まれた深い意味と尊さに、今初めて気付くことができました。それはまさに仏法の教えを聞くためであったのだと、今ようやく仏法に出会えた喜びを素直にいただくことができました。 このどうしようもなく愚かで迷い続けるしかない身は、人間に生まれたこの一生涯において、もし救われることがなかったら、もう二度と救われるチャンスはないでしょう」と。仏を知るために、人間として生かされているというのだろう。

 私たちも、神を知るために今を「生かされている」のである。その神は、今日も私たちを背負っていて下さる・・・「あなたたちは生まれた時から負われ 胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(イザヤ46:3-4)。
感謝

☆7月16日説教「命の約束」要約:

「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている」(ヨハネ福音書524

 赦しの言葉がここに与えられています。人は誰でも神と和解し、神との交わりに生きることができるのです。既に死から命に移っているというのです。


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by aslan-simba | 2017-07-11 16:57 | Comments(0)

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