2017年 06月 06日
新しい心と新しい霊を・・・不条理を超えて
太古の時代、人の祖先は、他の動物と同じように四本足だった。ところがある時、立ち上がり二足歩行となる。自由となった前足は両手となり、物を使うことを覚え、人は飛躍的な進歩遂げ、文明を形成して来た・・・と言われます。
今や、最先端科学技術の世紀を迎えています。私たちは現代という高度に発展した時代と、その文明世界の只中にあり、大変便利な時代を生きています。人間の偉大な英知がそこにあります。しかし同時に、明日への不安、生きることの虚しさ、徒労感を覚えています。実存作家カミュが、ギリシア神話に登場するシーシュポスの物語を引用し、人間の抱える不条理を描いたエッセイ(『シーシュポスの神話』新潮文庫)を思い起こします。
自分の力を誇示し神々を侮蔑したため、罰を受けるシーシュポスという男・・・彼は大きな重い岩を、山のふもとから山上まで運び上げるよう、命ぜられるのです。汗をかきかき苦心惨憺して、やっと運び上げたその岩はしかし、無情にもそこから、転げ落ちて行ってしまう。再度、その岩を取りに行って再び運び上げると、また落ちて行く・・・その未来永劫の繰り返しこそが、彼に与えられた罰だったのです。
今の時代を生きる人間も同様、空しい徒労の繰り返しの中を生きねばならない、とカミュは言います。確かに、この世界、人の人生はそんな不条理の中にあるのかも知れません。
そうであっても、この世界には、聖霊の風が吹いています。耳を澄ませば、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)という主イエスの御声が心の内に響き渡ります。だから「私たちは四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」(コリント二4:8-9)という気概をもって生きられるのです。
いつの日かこの人生の歩みの上に、まったき救いの完成が訪れることを信じて、新たな一歩を踏み出そうではありませんか。 神は言われます。「新しい心と新しい霊を造り出せ。お前たちは立ち返って、生きよ」(エゼキエル(18:32)と。
☆6月11日説教「完成を目指し」要約:
「・・・正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです」(テモテへの手紙一6:11~12)
私たちは「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和」を追い求めつつ、救いの完成を目指すマラソンの最中にあります。ひたすらキリストを見上げ、ゴールである御国へ向かって走り抜きましょう。