2015年 08月 26日
広隆寺の世界
よく言われるのが、そこにある「我が国と古代イスラエルとの接点」の指摘。いわく、広隆寺に隣接する神社はダビデ神殿だった。寺の「伊佐良井(いさらい)」井戸は「イスラエル」を意味する(発音が似ている)。寺の祭事(牛祭り)の祭神は、仏教のカミではなく「万物の創造神」。寄進した秦氏は元々「秦の始皇帝」の一族で、そのルーツはイスラエルに遡る。また聖徳太子=厩戸皇子(うまやどのおうじ)の馬小屋誕生の話は、クリスマス物語と重なる等々・・・書き出せばきりがない。
ある本によると、広隆寺は景教の教会だったとのこと(景教とは、7世紀に唐の長安に伝えられたネストリウス派キリスト教の漢字表記)。事実なら、キリスト教の日本伝来は、イエズス会宣教師がやって来た1549年よりも、何百年も前のことになる。面白い話ではあるが、何というべきか。
実は数日前、用事で嵐電に乗った際、たまたま太秦の次の駅での乗り換えを間違え、太秦方面へと戻る電車に乗ってしまった。瞬時に「広隆寺に呼ばれている」と閃いた。しかも時間に多少余裕もあったので、太秦駅で降りてみた。
午前中の早い時間、閑静な境内に人の姿はいない。時計は午前9時を回った。拝観料を払って寺内の新霊宝殿へ。
薄暗い照明の下、そこに五十体もの仏像が安置されていた。しかも見物人は自分だけ。不思議な空間に紛れ込んだようだった。ここで、あの弥勒菩薩半跏思惟像と出会った。教科書で見た静的な印象とは異なり、今にも私たちを救い取ろうとされる「慈愛」を覚えたのである。その姿に「再臨の主」を垣間見たような気がした。思い込み過ぎだろうか。否、仏典にも弥勒菩薩は、遠い未来に下界に降って仏となり、人々を救うと言われている・・・。
ともあれ、かつてここが景教の教会だったかどうかは分からない。しかしここにあっても、キリストが今、共にいて下さることは確実に分かる。本当にありがたいことだ。
☆8月30日説教「愛が勝つ」要約:
「わたしはあなたがたに最高の道を教えます。・・・愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。・・・すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。・・・愛は決して滅びない」(コリント信徒への手紙一12、13章より)
人生の「最高の道」・・・「愛」。ただし、この道を歩む時、人は幾度となく困難や挫折に直面します。しかし、諦めてはなりません。キリストが示された「永遠の愛」こそが私達を救いの完成へと導くからです。