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良き言葉を

 言葉の氾濫する今の時代、新聞、テレビなどの「偏り」に辟易とさせられることがあります。信仰者は聞くべき真実の言葉に、まず思いを傾ける必要があるでしょう。

 「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10:17)。聖書は、御言葉に秘められた「言葉の力」を確信します。聖書の最初に、「言葉による創造物語」が記されているのは、その証左でしょうか。「初めに、神は天地を創造された。 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった・・・」と。

 そのような神の御言葉とは比較になりませんが、人間の言葉にも力があります。族長イサクが、だまされて長子祝福の言葉を次男ヤコブに与えてしまった話もそうです。後で間違いに気づいても、その言葉を撤回し、長男エサウに与え直す事はできませんでした。聖書は、「イサクは激しく身震いして言った。『では、いったい、あれはだれだったのか。獲物をしとめて、私のところに持って来たのは。おまえが来る前に、私はみな食べて、彼を祝福してしまった。それゆえ、彼は祝福されよう』」(創世記27:33新改訳)と伝えます。何と・・・。一歩間違えれば、口は災いの元ということでしょう。

 さて、日々、私たちの交わす言葉にも力があります。それが相手の心に響き、相手を動かすこともあれば、何気ない一言で、相手が深く傷つくことさえあるのは、周知の通りです。 古来、私たちの祖先は、聖書を担った人々と同様に、この言葉の力を深く心に刻み、歩んでまいりました。万葉の詩人・柿本人麻呂がこう詠みます。「敷島の大和の国は言霊(ことだま)の幸はふ国ぞ真幸(まさき)くありこそ」、「日本は言霊の霊力によって幸せがもたらされる国です。感謝します」と・・・ある種祈りのように響いてきます。有難いことです。私たちは今一度、そんな言葉の力と尊さを覚え、神の言葉を聞き、自らの語る言葉を大切に、良き言葉で満たされたいものです。

 「どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない 心の思いが御前に置かれますように」(詩19:15 )。



☆8月2日説教「思いを一つに」要約:
「皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい」(コリント信徒への手紙一1:10)
 新約聖書が強調するのは、主の十字架と復活の出来事です。私たち一人一人の罪を贖うために、悲惨な苦難の死を遂げられ、さらに私たちを真に生かすために甦って下さったキリスト。その御方の前に、私たちはへりくだり、委ねて生きる以外に術はないのです
by aslan-simba | 2015-07-30 18:00 | Comments(0)

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