2015年 07月 17日
セミの季節
毎年、この最初に聞くセミの声は、ジージーと鳴くニーニーゼミです。次に梅雨明けと共に、アブラゼミやミンミンゼミが賑やかに鳴き始め、しばらくすると夕方や明け方に、ヒグラシの鳴き声を耳にするようになります。そしてお盆過ぎからツクツクホウシの声に初秋の訪れを覚える・・・。そのようなセミたちの声に、私たちは季節の時を実感するのです。こういった感性は、日本人に固有なものだと思います。
先日、米国のCNNニュースが、セミのことをこう伝えていました。「セミ(シケイダcicada)は、見た目に決してきれいな昆虫ではなく、譬えて言えば、ゴキブリの背中に羽根を乗せ、オレンジ色の目を二個つけたような姿。鳴き声は、オートバイの騒音なみの100デシベルに達する騒々しさだ・・・」と、思わず爆笑しました。ちなみにこのニュースでも言っていたのですが、米国内でセミが見られるのはカンサス、ミズリー、ミシシッピの三州だけ。他の州では知られていません。そう言えば昔、オレゴン州の米国人にセミを説明した時、よく理解されなかった記憶があります。(当方の英語力のみならず、先方はそもそもセミ、つまりcicadaという単語すら知りませんでした)。
ともあれ、「ゴキブリ」は絶対に嫌ですが、セミには親しみを覚えます。彼らは、暗い土中で何年も暮らし、地上で成虫になると、この光の世界での十日ほどの日々を、一生懸命に鳴いて過ごす。実にけなげです。同時に、何とも言えない命のはかなさを感じさせられます。
おそらくは神さまの世界から見ますと、人間の地上の一生もまた、同じように、はかないものなのかも知れません・・・。神のもとでは「一日は千年、千年は一日」(ペトロ二3:8他)・・・。 私たちも神さまから頂いたこの世の日々を、けなげに精一杯生きたいものです。いつか希望のうちに、御国へと飛び立てる日が来る事を覚えて・・・。
なお今年の本格的なセミの季節の始まりと共に、我が家の老犬シンバは御国へと旅立って行きました。
☆7月19日説教「神の備え」要約:
「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」(使徒言行録9:31)
ステファノの惨殺を契機に、教会に対する大規模な迫害が起こる。成長し始めていた教会は散らされた。しかし、そのような状況下にサウロ(パウロ)は、キリストに捉えられ、神の御言葉は確実に伝えられ、教会は大きく成長したのである。神の恵みの計画は、着実に進む・・・今、私たちもその中にあるのだ。