2015年 06月 04日
今日も花道
ところで先日、そんな私も、身近に「老い」の問題と直面するはめとなった。私自身の話ではない。我が家の飼い犬シンバのことである。それは一週間前のこと。シンバが急に立ち上がれなくなった。高齢による体の弱りで、後ろ足がまったく利かなくなったのである。文字通り腰が抜けた状態となってしまった。
3月にも、このブログで紹介したように、シンバは「ズタボロ犬」だが、食欲旺盛で、私たちの食事中には必ずテーブルの下にやって来ていた。また普段からエサ欲しさに吠えたり、散歩を要求したりする元気もあった・・・そんな彼がその日を境に動かなくなり、声を出さなくなったのだ。
現在、妻と娘が近所の獣医科へ通院させてくれており、彼なりに前足二本で何とか体勢を整え、懸命に生きようとしている。逆に、そのシンバらしくないけなげさに、胸が痛む。正直、私の「老い」を、彼が身代わりになって担ってくれているような気さえするのである・・・。
なお獣医さんの話によれば、シンバは人間の年齢に直せば90歳ほどとの事・・・。それを聞いて、ふと107歳で亡くなった清水寺貫主の大西良慶氏が、90歳の頃に、「坊さんの花道は七十代だ」と語ったという逸話を思い出した。ならば、シンバの「犬の花道」はいつだったのだろうか。それは「今」に決まっている。彼はいつも「今」を生きて来たのである。
ついでに我が「牧師の花道」は・・・「主に在って毎日」と、僭越ながら述べたいと思う。どこまでも「主に望みをおく人は新たな力を得 鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ40:31)ことを愚直に信じて。シンバも頑張れよ。
☆6月7日説教「救いの完成」要約:
「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように」(エフェソの信徒への手紙1:3)
信仰生活とは、いつも神をほめたたえて生きる生き方です。喜びの日も、悲しみの時も、豊かさの中にも、困窮の折も、また病床にあっても、賛美して生きる生活なのです。