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年の瀬に思う

  あと数日で今年も暮れようとしている。子供の頃、「もういくつ寝るとお正月・・・」と新たな年へと心はずませ、嬉々として家の手伝いをしたことを思い出す。
  行く年、来る年・・・松尾芭蕉の言葉がよぎる。「月日は百代の過客にして、行きかう人もまた旅人なり」・・・芭蕉は、「月日というものは、常に旅を続ける旅人、来ては去る年もまた同じ旅人である」と述べ、奥の細道へと旅立った。まさに旅を人生とし、人生を旅として生きたのである。
  聖書も私たちに、「人生は旅である」ことを教える。事実、そこに登場する人々の生きざまも、みな旅の人生だった。 私たち一人一人も、その旅に今を生きる。 山あり谷あり、その道のりは決して平坦ではない。しかし、だからと言ってその歩みを止めることはできない。遅々とした歩みでも、勇気を振り絞って一歩を踏み出すことが大切である。そのように人は、自らの道のりを踏みしめながら歩むのである。
  この旅程、人によっては思いのほか長いものもあれば、また心ならずも短い旅もある・・・。しかし、この旅には均しく終着点があることを心に留めたい。それは人生最大の喜びとなる目的地、「天の故郷」に辿りつくことである。
 聖書は語る。「(聖書の人々は)信仰を抱いて死にました。・・・彼らは・・・天の故郷を熱望していたのです。だか ら、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです」(ヘブライ11章参照)と。つまり人生の究極は、御国への帰還の時、凱旋の時なのである。そこには「もはや死もなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」(黙示録21:4)ことが約束される。思えば、 このような目的地を示されて、人生の旅に生かされていること自体、有難いことではないか。
  ふと、こんな聖句が心に響いた。「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。・・・あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ」(ヨシュア1:5-6)。共にさらなる一歩を踏み出そう。新たな年、主と共に。



☆12月29日説教「嘆きを喜びに」要約:
「シオンのゆえに嘆いている人々に 灰に代えて冠をかぶらせ 嘆きに代えて喜びの香油を 暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために」(イザヤ書61:3)
  聖書は「嘆き」を否定的に捉えません。嘆くべきことを嘆くのは、大事なことなのです。それを通して、私たちは、神の赦しを求め、救いを求めて、神に寄り頼む者となるのです。そして、その神さまから、本当の喜びが「嘆きに代えて」与えられる。神御自身が暗い心に代えて「賛美の衣」 をまとわせてくださるのです。感謝
by aslan-simba | 2013-12-26 16:50 | Comments(0)

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