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祈りつつ待つ今日

 「一日は貴い一生である、これを空費してはならない」(内村鑑三『一日一生』)。
 金木犀の香る朝、あらためて思う。今日という日は二度と来ない。現在という時は、今ここにしかない。元に戻すことも、止めることもできない時の流れの中に、私たちが生きているということを・・・。この与えられた今日という日を、精一杯生きて行きたいものだ。神さまに心から感謝して。
 以前は朝目覚め、一日が始まることを、自分にとってなかば当然のことのように思っていた。しかし、明日も今日と同様の朝を迎えられる保証は、どこにもないのだ。「一寸先は闇」と言われるが、私たちには自分の未来を正確に予知する能力は、持ち合わせていないのである。
 突然の病で、厳しい闘病生活を続けて来た知人がいる。今は人生最後の日々を、主の御手の内に在って、祈りながら過ごしている。彼女が自分よりも年若いことを考えると辛いが、ご主人をはじめ家族が思いを一つにして看病にあたる姿に慰めを覚える。
 ふと、こんな御言葉を思い起こす。「主に望みをおき尋ね求める魂に 主は幸いをお与えになる。主の救いを黙して待てば、幸いを得る」(哀歌3:25-26)と。望みつつ待つ、そこに希望がある。心静かに希望を捨てずに、待つことのできる人間でありたい。
 人生、私たちは若かった時には、青雲の志を抱き、未来を無限のもののように思っていたかも知れない。それはそれでよい。若者の特権だろう。けれども、年齢を重ねるに従って、人は過ぎ行く時の中で、限られた人生を生きざる得ないことに気づかされる。先は必ずしも長くはない。だからこそ、「今日」という日が、尊く貴重なのである。その今日という一日、大きなことはできなくとも、誰かのため、何かのために、祈り、待ち望もうではないか。そのような一日一日の積み重ねが、私たちに「幸い」を与え、生涯の充実をもたらすのである。 
 いつか御国で主と顔と顔を合わせてお会いできる日を心に刻み、今日も天を仰いで歩んで行こう。どこまでも高く澄み渡る秋の空を見上げながら。


☆10月13日説教「信なき信」要約:
「父親は言った。『幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください』イエスは言われた。『「できれば」 と言うか。信じる者には何でもできる』その子の父親はすぐに叫んだ。『信じます。信仰のないわたしをお助けください』」(マルコによる福音書9:23)
 大変な状況を前にした時、人は信じるしかありません。キリストにおいて現される神の憐れみと御力を信じ、主に寄り頼むしかないのです。
by aslan-simba | 2013-10-10 10:00 | Comments(0)

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