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彼岸花の季節

  猛威をふるった台風が去り、残暑の時が過ぎる・・・今朝、道端に彼岸花がひっそり咲いているのに気づいた。花は自らが咲くべき季節の訪れを知っているのだろうか・・・。お経の言葉である梵語の音写で曼珠沙華と呼ばれるこの花、その特徴ある姿を見つめながら、山頭火の自由律俳句に思いを馳せてみた。
 「曼珠沙華咲いて ここがわたしの寝るところ」 「彼岸花さくふるさとは お墓のあるばかり」 「いつまで生きる 曼珠沙華咲きだした」 「悔いるこころの 曼珠沙華燃ゆる」 「なかなか死ねない 彼岸花さく」・・・。
  種田山頭火という人、山口県防府の裕福な地主の家に生まれる。幼い時に母が自殺したことが大きなトラウマとなった。長じて家業の破産、妻子を連れて九州へ逃れ、熊本で文具屋を開くが失敗。結果的には酒におぼれ、最後は家族を捨てて旅立った。収入はもっぱら自らの俳句の師匠や支援者をあてにし、時に自殺未遂も繰り返しながらの行乞流転の旅だった。
  そんな山頭火は、彼岸花を好んでいたようだ。彼にとって、曼珠沙華の花が唯一の心の救いだったのだろうか。一見自由奔放に見える人物だが、己の身の拙さを病的なまでに嘆き苦しんでいたのである。ある人がその句について、こう記していた。「自分をとりまくすべてが滅びゆくとの強迫観念にさいなまれ、出口をもとめつづけた神経症者の吐露が彼の句だった」(『種田山頭火の死生』)と。
  お彼岸の時期は、「この世の『迷いの世界』(此岸)から、『迷いのない安らかな世界』(彼岸)へと渡るために、自らの日頃の振る舞いを省みる時」と言われる。後悔と自責の思いの中を、迷い続けながら歩んだ山頭火の人生の旅・・・。
   翻って、私たち自身の人生の旅はどうだろう。私たちは、その旅路の先に御国を望むことができることが有難い。今、世にあって「火の柱、雲の柱」に導かれながら歩んで行ける・・・。いみじくも山頭火の辞世は、「もりもりあがる雲へ歩む」だった。彼は人生の最後の最後にして、やっと希望の光が見えたのだろうか。そうであってほしい。



☆9月22日説教「心の目」要約:
「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように・・・私たち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように」」(エフェソの信徒への手紙二1:17―19参照)
  どのような人生の時にあっても、私たちは神さまの壮大な御計画と、その御業の只中に置かれていることを忘れてはなりません。そこに尽きない希望があります。
by aslan-simba | 2013-09-19 07:09 | Comments(0)

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