2013年 04月 02日
回顧と展望の時
思えば、子どもの頃、私も春休みはよく遊びました。また興味ある本も沢山読みました。学校の長期休暇の中では、春休みが一番エンジョイできたように思います。それは、夏休みや冬休みとは違い、学校の宿題がなかったこと。そして日に日に明るくなり、自然が甦る気持ちの良い季節だったのが大きな理由でした。(今のように花粉を気にすることもなければ、もちろん「黄砂」や「PM2.5」の飛来といった迷惑な話もありませんでした)。
大人になってからのこの時期は、年度変わりのあわただしさに、もっぱら振り回されていた時代もありましたが、いつしか静かな祈りをもって過ごす「自由な回顧と展望の時」となりました。それは、祈りつつ、自分のこれまでの歩みを振り返り、これからの進む道について思いを馳せる時ということです。だからと言って、何か新しいことを始めようというのではありません。今までの神さまのお守りに、ただただ感謝し、これから先の歩みの上に、益々の導きと祝福を祈る時なのです。例えていえば、山登りをしていて、ちょうど山の中腹の見晴らしの良い地点にたどり着き、そこで一息つくといった感覚でしょうか。
こんな聖句が示されます。「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼は昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった」(出エジプト13:21―22)、と。本当にそうです。これからも、いつまでもどこまでも、主が共に在り導いて下さいます。「進むべき道は拓かれる。安んじて、ひたすら主を信頼して歩め」・・・そんな御声が心の中に響く、四月第一週の昼下がりです。
☆4月7日説教「宝の器」要約:
「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています」(コリント二4:6-7)
かつて創造の初めに、「光あれ」と命じられた神さまが、今、私たちの心にも「光あれ」と言われ、キリストを信じる「信仰の光」を下さいました。この光こそが、大いなる「宝」なのです。そして、この宝が私たち自身と、この世界を救うのです。