インマヌエル、アーメン

「神、共におられる」・・・これは旧約聖書を貫く中心的なメッセージの一つと述べてよい。聖書の伝える信仰者たち―創世記のヨセフ、出エジプトのモーセ、詩編のダビデ、預言者イザヤ・・・―は皆、この御言葉を支えに、危機から立ち上がって来たのである。翻って私たちも人生の困難に瀕する時は、この御言葉を聞くべきだ。 新約聖書のクリスマスの出来事も突き詰めれば、その一点に絞られるだろう。ヨハネ福音書はこの事実を「言は肉となって、私たちの間に宿られた」(ヨハネ1:14)と記す。ここの「宿る」とは「住み込む」とか「滞在する」と訳すべき言葉で、一時的ではなく、まさにキリストがこの我々の中に、共に生きる者として入って来て下さったという事なのである。マタイはイザヤの預言を引用し、その「インマヌエル」こそが主の御名だと教える(1:23)。ちなみに「インマ」が「共に」、「ヌ」が「我々」、「エル」が「神」の意味だ。マリアの突然の受胎にたじろぐヨセフは、天使からこの御名を示され、マリアを妻として迎え入れたのである。インマヌエル、「共にある主」の御名、その力・・・ 戦前、神学者で牧師であった橋本鑑(かがみ)は、人々の信仰が、実際の生活の中に「受肉」していない事を嘆き、身をもって福音に生きる大切さを教え、実践した。橋本牧師は称名念仏ならぬ「福音的称名」を提唱し、朝夕、木魚を叩きながら「インマヌエル・アーメン」と唱え続けたという。御名にすがって生きる大切さが示される。「主の御名は力の塔。神に従う人はそこに走り寄り、高く上げられる」(箴言18:10)のである。御名は私たちの力の源泉となる。私たちは今日も主の御名を呼びつつ、祈り歩めるのである。「インマヌエル・アーメン」感謝


☆12月11日「聖霊によりて」説教要約:
聖書は私たちに、神に深く動かされる境地を教えます。それは神さまの霊=聖霊に動かされる事です。聖霊による祈りのなかで、神に動かされるとき、そこには自由があり、平安があります。希望があります。大きな力が湧き上がってきます。ささいなことに一喜一憂するのではなく、私たちは神さまに心から委ねて歩んでまいりましょう。アドヴェントの時、皆様方のご健康をお祈り申し上げます。
[PR]
by aslan-simba | 2011-12-07 19:13 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31