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梅雨の夕焼け

雨上がり、初夏の夕陽に草の露がきらめいている。色濃くなった木々の緑、そしてアジサイの花々の彩りを見つめていると、「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった・・・」という主イエスの御言葉が耳元に響く。 小高い所から見た薄暮の空、濃い藍色の中を茜色が染める。山の端が、その光に照らされ、ほのかに輝き続けている。梅雨の晴れ間の夕焼けは、本当に美しい。太古の時代から、一つとして同一の姿の夕焼け空はないと思うが、昔の人たちが、そこに「極楽浄土」を思い浮かべた気持ちは十分に察せられる。その神秘的な情景が私たちに、向こう側に確かにある安らぎの世界の広がりを示しているからではないだろうか。 ふと詩編の言葉が脳裏を走った。「天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。 昼は昼に語り伝え 夜は夜に知識を贈る。 話すことも、語ることもなく 声は聞こえなくても その響きは全地に その言葉は世界の果てに向かう」(詩編19:2-5)と。こちら側に住む私たちに、天から響いてくるメッセージだ。この詩人は、天空を仰ぎ、それをしっかりと受け止めつつ、神の世界へと思いを馳せるのである。そして「主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ」(16節)と結ぶ。 余談だが、子供の頃、遅くまで空き地で遊びほうけ、深紅の夕焼けを背にして家路を辿ったことを思い出した。家に着いた時は真っ暗だった。普段、あまり注意されたことのなかった母に、叱られた。あれも梅雨の頃だった。五十年も前の東京での話である。そんな母もそして父も、今は向こう側の世界の人となっている。


☆6月26日説教「慈しみ」要約:
「主よ、あなたは恵み深く、お赦しになる方。あなたを呼ぶ者に、豊かな慈しみをお与えになります」(詩編86:5)
この「慈しみ」という表現ですが、実は同じ原語の言葉が、旧約聖書の文脈によっては「恵み」「憐れみ」「愛」という日本語で訳し分けられているのです。「慈しみ」「恵み」「憐れみ」「愛」・・・すなわち、この言葉は神さまの本質、神さまの人格を言い表す言葉なのです。詩人はこの言葉を用いて、神さまが豊かな愛と憐れみを注いでくださる慈しみの神である事を固く、また深く信じ、耐え切れないほどの嘆きと苦難の中から、感謝と賛美を捧げ、神さまの顧みを心より祈り求めているのです。「慈しみに生きる者」(2節)として・・・私たちも同様に、主に在って、同じ慈しみに今、生かされて在るのです。感謝
by aslan-simba | 2011-06-20 19:19 | Comments(0)

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